ばばかよ 「トーキョーミュージックファイター」 を読んで


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今回はいつも紹介している音楽マンガとは違った趣の作品を紹介してみたい。
音楽マンガというと大体は、バンドがメジャーになっていく様子やキャラクターの人間模様を描いて恋愛や友情を育んで
成長していくストーリーマンガが多い。
その中で、作者がライブに足を運び、聴いて観た感想をマンガにするというのは、あまりないと思う。
ミもフタもないことを書いてしまえば、そんな事は新聞や音楽雑誌に掲載されている活字の音楽評論をファンが読めばいいものの、
エンタテイメントな女性雑誌独特のライトな感覚で幅広く読めるエッセイマンガの音楽批評版が出てきたというかんじだろうか。
思い出してみれば、連載当時の96年は現在に続くエッセイマンガが女性誌を中心に数多く出始める時期であったように思える。
だけど、作者のばばかよ独特な視点のおもしろおかしい感想が素直に描かれている内容はバカバカしく笑える上に、
取り上げられているアーティストも多くの人が知っているようなメジャーな方々なので、
読みながら容易にその人の音楽が頭の中で鳴り響くので非常に共感を持って読み進める事が出来る。

クラシック音楽を扱ったマンガを除いて、音楽マンガの大半はオリジナルの楽曲をマンガの登場人物がバンドを結成した上で演奏し歌う事が多く、
読者は目に見えない上に聴く事も出来ないそのオリジナル楽曲をマンガの物語と雰囲気で想像して音楽を読み取る作業を行う。
そういう意味で音楽マンガは読者に一定の無理を強いる題材であるが故に非常に制作が難しく、
音楽マンガは成功しないと一般的に言われる所以である。
そのような点を考えると、大衆的な音楽のカタチというのは奏者が作品を歌い演奏し、視聴者が作品を聴いて奏者を観るという、
聴く事を大前提としている事が当然の事ながら再認識する事が出来るだろう。
読者は世の中に数多の楽曲が出回っていることで音楽教養を身に付けているにも関わらず、
同時に幼年期から義務教育内外で最低限の音楽知識を身に付けている現在にも関わらず、
音楽マンガでのオリジナル楽曲を読み取る作業が難しいというのは、効果音を視覚的効果に変換が技術的に可能でも、
楽曲を視覚的効果に変換する言語をマンガに持ち合わせていないという事だろうか。
しかし、上記から読み誤って欲しくないのは、楽曲を視覚的効果に変換する言語を明確に持ち合わせていないにも関わらず、
読者自身が楽曲を想像させる事にギリギリのラインで可能なのは、登場人物の性格や生い立ち、バンドの編成や楽器の種類、
バンドのカラーや演奏場所、ライバルや観客との関係性などを物語で描いているからこそ、
音楽マンガの楽曲を読者の音楽的な知識と教養で補完しながら読み進め、同時に作者と読者の関係も補完しているからだろう。


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