山下和美 「カーニバル」 を読んで


2

作品全体を読んでいただければお分かりかと思うが、演奏をしているときの音楽表現に音喩が加えられていない。
形喩も必要最小限の効果で抑えられており、絵とコマの流れで音楽を聴かせようとしている。
また、”カーニバル”というバンドのカラーや実力もキャラクターの動きや観客の反応、
もしくは他のバンドからの感想といったカタチで評価がなされている。
このようなポイントで考えると、当時の山下和美という作家はマンガの中で音楽を聴かせる作業を、
とても慎重にそして疑いながら描いていたのではなかろうか。
山下は幼少の頃から3人の姉の影響により、多くの洋楽を含め音楽を聴いて育ったこともあって、
聴いて観て楽しむことの力点の強さを知っているからこそ、
自分自身が描くマンガ(紙面)からの音楽表現を読者に向けて楽しませる作業に疑いを持っていたのではと予想する。
だからこそ、音喩や形喩から音楽を聴かせようとはせずに情報量を可能な限り抑えて、
キャラクターの動きで音楽を説明して聴かせようとしていたのではなかろうか。
恐れずに語るのであれば、山下和美はマンガから音楽を奏でることを信じていなかったのではないだろうか。
後の作品による音楽表現で、多少の音喩と形喩が増えてきている事や見開きの使い方を考慮すれば、
初期作品である「カーニバル」はとても興味深い作品なのだ。


もどる 次へ

inserted by FC2 system