松本大治 「DESPERADO デスペラード」 を読んで


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子供が読むマンガの少年読者に対しての説得力というのを語ってみよう。
主人公の椎名は設定として読者と同じ目線に立つ等身大の少年だと思う。
この少年(=子供)というのがミソです。
椎名はギターをろくに弾けない少年(力の無い子供)だが、マンガを読んでいる読者も大方がギターを弾けない少年(力の無い子供)だと思われる。
黒須や八神らはそれに対してギターが弾ける少年(=力のある大人)である。
ギターを弾ける弾けないで子供と大人の対立を描き、子供の成長を描いているのだ。
椎名はギターを始めてたった3週間で黒須と共に文化祭のステージに上がるのだが、結果として好評を得る。
椎名(子供)とは別に経験者の八神(大人)などのバンドも出演しているのだけど、それに勝ってしまう。
それはなぜか?
それは彼らよりも技術が圧倒的に劣るにもかかわらず、”魂ソウル”が勝っているからである。
子供は経験や肉体的な条件によって大人には敵わないわけで、このマンガの場合では、
ギター初心者の椎名はギター経験者の八神に敵わないのと同じだ。
しかし、子供が経験や肉体的な条件以外で大人に勝つためには、それ以外のモノで勝つしかないという子供の夢であって、
このマンガの場合においてそれ以外のモノとは”魂ソウル”であって、気持ちや根性論とか精神論になるわけだ。
そこで、椎名が八神に勝てる要素というのは”魂ソウル”なわけで、
このマンガの世界では技術や実力などがある奏者よりも
”魂ソウル”という熱い気持ちが強ければ強い奏者が巧みで凄い事になる。(図:A)
子供が大人に勝つというのは、子供にとっての夢である。
だからこそ、このマンガにリアリティを感じる読者というのはマンガを読んでいる大人に敵わない子供なわけであって、
これを笑い飛ばす読者というのは十分に大人であるという事なのだ。
だけれども、大人も読めてしまうマンガになっている理由は、
黒須(大人)が椎名(子供)に向けてジャンゴ・ラインハルトの逸話を持ち出すように、
”魂ソウル”だと言いながらも努力する事を示しているからである。(図:B)
少年読者に対しての説得力とは、未成熟な子供が納得できる武器であって、
このマンガではその武器が”魂ソウル”ということだ。


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