宮川匡代 「エチュード━Etude━」 を読んで


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この作品の音楽シーンは決して多くない。
特に由季が実際にピアノを弾いているシーンは単行本P14とP15でデューク・エリントンの
代表曲「スゥイングしなけりゃ意味ないね」の触りを弾いているのと、
P169・170とP194から「9月の風」を弾いているだけで、
他のP58とP122・123の演奏シーンは萌子の頭の中の想像でしかない。
しかし、全4話の物語の中で、1話に1シーンは何らかのカタチで演奏しているシーンがあるわけで、
その点を考慮するとバランスよく萌子と由季の関係を構築するための演奏シーンが挿入されているのは絶妙だ。

まず1回目の演奏シーンであるP14・15を使ってデューク・エリントンの代表曲「スゥイングしなけりゃ意味ないね」の触りを弾いているシーンから語っていきたいと思うが、
このシーンで萌子は由季が初めてピアノが弾けることを知るわけで、このシーンが後に由季が萌子を歌い手として誘う伏線となっている。
僕からすると、このシーンで音楽がデュークの音楽が聴こえてくるかと問われると聴こえてこないというのが本心だ。
多分、作者の宮川自身もそんなに力を入れていなかったのだろう、由季の演奏能力が低いからそのような描写になったと控え目に考えたとしても、
由季が演奏しているような体の動きはしていないし、形喩もそんなに巧みな表現とも思えないので、
そんなに音楽をしているような雰囲気には感じられない。
ましてやP15の3コマ目の演奏シーンなのだが、由季の右手はいびつでとてもピアノを弾いている人間とは思えない。
加えて言えば、グランドピアノのはずなのに、アップライトピアノ(P14の4コマ目)に見えてしまうのも、
いささか問題なのではないかと思う。
形喩とセリフの噴出しの構図的バランスを視線誘導的に考えると絶妙にも思えるが、同時に半ば強引に噴出しを入れているようにも見えるわけで、
それが妙なアンバランスになって僕自身はとても不安定な気持ちとなった。
 だけど、ここで重要なのは僕たち読者に向けてデュークの音楽を聴かせるのではなく、
萌子が抱える心理的不安を際立たせるために由季の演奏シーンが必要なわけで、
だからこそP15の最後で「もっと聴きたいな……」という心の声が光るのだ。


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