小花美穂 「アンダンテ」 を読んで


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そんな中で、僕が感じてしまったのはマンガで管楽器を演奏するリアリティの難しさであった。
前もって述べておくが、小花美穂の絵が下手とか、画力が無いと言いたいのではない。
僕自身が、多くの音楽マンガを読みながら管楽器を吹く描写の違和感を常々に抱えている事なのだ。
その証拠に例として「アンダンテ」単行本3巻1ページ目の扉絵は素晴らしい。(図参照)
茗がサックスを吹いている絵なのだが、柔らかなタッチで描かれ、目を閉じながら風になびく髪を泳がせ、
やや上向きでサックスを吹く茗の姿を見ると、”未来”という音楽が奏でられているのがわかる。
もちろん、技術的に日本のマンガが右から左へ読み進める構造上、
左向きの姿は次のページに向かうステップとも受け取れるし、
上向きの姿にも次へのステップという暗喩にも受け取れるために、
僕自身が感じた”未来”という希望を素直に心へ響いたのかもしれない。
おそらく高音域で、ゆったりとしたメロディを奏でているであろう事も想像できるし、
茗というキャラクター性が存分に表されている絵であることは間違いない。
まぁ、サックスのひまわりの向きがちょっと変なのはご愛嬌にしときたい。
ただ、彼女の絵は素晴らしいし、マンガを支えるのは絵だけではなく、
物語や演出などと様々な要素が絡み合って作品が出来上がっていくことは承知しているつもりだし、
読者の皆さんにもわかってもらいたい。

そういう中で僕が、あえて”管楽器を演奏するリアリティ”に言及しているのは、
もちろん僕自身がフルート奏者である事も多分に含まれていることなのかもしれないけれど、
音楽を扱った多くのマンガの中で管楽器を吹いているキャラクターの絵を見ると、
どうも息遣いや身体の動きといった躍動感みたいのが見えづらいのだ。
全てのマンガで管楽器を吹いている全ての描写が分かりづらいと言いたいのではなく、
正直に書かせて頂ければ、あまり高い打率で具合の良い絵に出会うのは少ないというのが本心です。
これには理由があると思う。

スポーツや格闘技など、戦闘などを扱ったマンガなどに比べれば音楽マンガは明らかに派手ではなくキャラクターの動きは少ないし、
音楽マンガの中でも特に管楽器を吹いている姿は他のギターやドラムなどといった楽器の描写に比べても動きが地味な方だから、
絵にしても読者に奏者からの音楽はなかなか伝わらないかもしれない。
動きが少なくて地味だから、作家がどのような想いを乗せてマンガを描いていながらも、
マンガのキャラクターが管楽器を吹いているのに、管楽器のマウスピースを口に咥えているだけに見えてしまって、
”管楽器を演奏しているキャラクター”という記号(絵)を提示してしまって、
作家と読者による暗黙の状態が発生しているようにも思える。


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