まつもと泉 「きまぐれオレンジ☆ロード」 を読んで


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僕は紙媒体である視覚メディアのマンガから、どうして音楽が聴こえるのかという疑問からこのように筆を執り続けているわけだけど、
今回は「きまオレ」にしようか短編集「グラフィティ」にしようか迷った。(この段階ではグラフィティについて執筆しようとしている)
なぜなら、僕が十分に大人になってから読んだ「きまオレ17巻〜スタア誕生!の巻〜」で、
鮎川がバンドのボーカルとして歌っているシーン(図:1)に音楽が聴こえたからだ。
ギターを弾いているサングラスの男からは温もりのある軽快なストロークが聴こえ、鮎川の表情にはなんとも言えない哀愁と愛らしさ、
そして艶かしい目からストレートな歌が聴こえる様だった。
それに重ねるように恭介のモノローグが鮎川の歌声を更に際立たせ、鮎川のアップになったときは鳥肌が立っていた。(図:2)
はっきり言って、それほど手の凝った流れではないし、当時のマンガのレベルから言っても先端的な表現だったようにも思えない。
では、どうして僕はそのシーンから鳥肌が立つような音楽が聴こえたのだろうか?

P16(図:1)の4コマ目で僕はショックを受けたわけで、特にギターを弾いているサングラスの男がキモだった。
彼はきちんとギターを弾いているのだ。
僕が書いていることがお分かりだろうか?
ダンス経験者が、あるダンスマンガを読んでも「このマンガのキャラクターが踊っているように見えない」と言う事があるように、
音楽マンガにも楽器を弾いているように見えるとか、歌っているように見えるというのがあるのだ。
最近のマンガ家は楽器が弾けなくても資料の多さや教養の高さからそんなことはなくなってきたのだけど、
かつてマンガ家は楽器が弾けないにも関わらず大して資料を用意せずに本人が想像する演奏像を自分のフィルターで筆の思うままに描いていたのだ。
だから、わけのわからない姿勢で演奏をしている姿が描かれていたり、
楽器と判断するには図々しいほどの格好のつかない楽器が描かれていた時代があったのだ。
それは極端に言えば、かつてのマンガは作者も読者もリテラシーがその程度だったという表れであると同時に、
”楽器(音楽)を演奏している人間”というのが記号として分かればよかったのだ。


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