さいとうちほ 「オペラ座で待ってて」 を読んで


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ここでは一歩進んで、さいとうちほが描く音楽表現と視線誘導の巧みさを説明していきたい。
視線誘導とは、読者がマンガを読んでいるときに、どのようにして視線を動かしてマンガ内のコマやキャラクターやセリフなどを読み進める、
作者の意図的および反意図的な作業と考えていいと思う。
そして、さいとうちほが描く音楽の音色を表す形喩が、いかにして読者の視線誘導に合わせて音楽を形成しているか説明していきたい。
ここでは基本的な視線誘導の例を取り上げてみよう。

単行本P24・P25の見開きを見てもらいたい。
まず、読者は紙の上に描いてあるマンガのコマの中にあるキャラクターの顔(特に目)やキャラクターのセリフなどを軸に
視線を動かして次のコマへとマンガを読んでいる。
ここでは、あえて僕が読者の視線を書いて図にしてみた。(汚いけどね)
日本のマンガは日本語の都合上、右から左へ読み進めるタイプ(西洋では英語の都合上で左から右になる)で、
読者の皆さんはお気づきだろうか、おおよそキャラクターの顔は左を向いていると思われる。
それは、日本のマンガが右から左へ読み進める都合上、視線の流れとして左側を向いていることが多い。
だから、読者はキャラクターの視線を追うので自然と次のページへと向かう左側へと視線が誘導されるのだ。
特にP24のキャラクターの顔の向きは徹底して左側に向いており、読者の視線を的確に誘導している。
そして、3コマ目でマコが「ちっ… ちがう…!」のセリフで顔が真正面になると、読者の視線が一度止まるので、マコの拒否の言葉が映える。
こう見ると、見開きの右ページP24はP25へ向けて左へ左へとスムーズに視線を誘導しながらも、
的確に視線を止めて欲しい箇所は止めるという技術が光っている。

見開き左側P25の音色に導かれる表現は巧みだ。
P24の最後のコマでマコはP25(左のページ)から流れてくる音色(音符の漫符の記号)に、爆発型の記号(形喩)で気がつく描写がなされている。
マコはP25でレンガの裏から音色に導かれて雑踏の中を掻き分ける。
ここで、あるとが鳴らしているヴァイオリンの音はP25で流線型の形喩に変化し、音の出発点が視線誘導の出発点ともなってレンガの裏から始まり、
終着点がヴァイオリンを弾いているあるとを通り過ぎて次のページへ視線を誘導するように左下隅へと向かっている。
その音色に沿ってマコは音色に導かれるように目標(あると)に向けて歩き、マコがあるとを見つける表現がなされている。

@レンガ裏から音色の出発→
Aマコが音色の探索「バイオリンの音…」→
B音色を追いかけながら雑踏を掻き分けるマコ→
Cあるとを発見「あると…!!」→
Dマコのズームアップ(目のみ)→
E音色の先には→
F「こんなメトロの道路で…━」で、あるとがメトロで演奏をしているのを観ているマコの視線へと変化する→
G音色は次のページへと流れていく。

こう順序立ててあるとが弾くヴァイオリンの音色の形喩を追っていくと、さいとうちほが描く音の表現が、
ひとつのキャラクターを動かすに値する動機が明確となって、僕たち読者にも説得力を持って、
あたかもメトロからヴァイオリンの音色が聴こえてくる様な感じがする。

そしてページをめくってP26で、いっきに開放されて美しい調べを弾いているあるとと聞き惚れている観客とマコが描かれる。
音色は四方へ流れて行き、マコは目を閉じながら身体の中へ音色が流れていく表現がなされ、「すごく いいなぁ」と素直に感じると同時に、
マコが観客を観察してあるとの演奏力の上手さを解説しているため、あるとのヴァイオリン奏者としての実力が高いことが
読者にわかりやすく説明がなされている。

長々と説明してしまったが、P24からP26まで音色のライン(形喩)を追って、キャラクターを見つめなおしてみると、新たな発見があると思う。
是非、機会があれば読者の皆さんにやってもらいたい。
こうして読んでみると、物語のラストを飾るあるとが奏でるサン・サーンスに合わせて踊るマコのシーンは
一層の面白さを持ってマンガを読み進めていけるのではないだろうか。
同時に音楽が聴こえる瞬間と躍動感を理性的に読んでいくのも、マンガの読み方のひとつではなかろうか。
もちろん、マンガをこのように小難しく読むものではないだろうし、理性的に読んだら感動も薄れるかもしれない。
ただ、なんで面白いのか?というのを模索する上できっかけになればと思う。


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