よしながふみ 「ソルフェージュ」 を読んで


3

すこし前のページに戻ってP152の3コマで田中が歌っているシーンがある。
このコマの右半分は白くて空虚だ。
深読みをすれば、田中が不安を抱きながらソルフェージュを学んでいることがわかり、
同時にP153で久我山の顔を伺う事によって、
さらに不安が増していることがわかるのではないだろうか。
同時にP153の最後のコマで「ポン ポロロロ」と久我山が調音でピアノを弾くシーンがあるが、
そこでも「ポン ポロロロ」という擬音によって、
単音でピアノが弾かれていることが分かると同時に基礎教育をしていることによって
音楽そのものが乾いている感じにも思える。
ここは大変に受け取り方が難しくて、乾いている音を表すことによって音楽的でなく教育的なのを表現しているのか、
それとも音楽表現がおざなりになっているのかは読者の判断なのかもしれない。

最後に音楽表現の事では無いのだけど、批判を書かせてもらいたい。
ひとつはP151の田中が久我山に教えを請う回想シーンなのだが、
田中は「ロックって えーっと… メロディはあんだけど ハーモニーはないでしょ (以下省略)」というのは田中というキャラクターの見識の甘さなのか、
よしながふみの見識の甘さなのか分からないが残念な台詞だ。
ロックにだってハーモニーはあるのに、ロックはクラシックより音楽が劣るという見解をここで示してしまっている。
ましてや、田中が久我山に音楽教育を請う動機付けの発言とはいえども、田中吾妻は後々に大声楽家になるので、
その見識を青年期に抱かせているのは致命的にも思える。
ソルフェージュを巧みにマンガで表現がされているにも関わらず、シナリオレベルで音楽的な価値観を場合によって貶めてしまう表現があったことは、
音楽家としての僕が読むと非常に残念な事である。

しかし、注意してもらいたいのは、この箇所だけで音楽表現そのものまでも貶めることはない。
この台詞のみで読者が判断してしまうのは、それはそれで残念なことであり、それとこれとは別問題とも考えるからだ。
ボーイズラブ系の作家の中でもっとも成功した一人であり、また多くの表現に優れた作家であることも留意してもらいたい。

後日に後のエピソード「ソルフェージュ カーテンコール」のことを書きたいと思う。


もどる

inserted by FC2 system